初めまして、松山市あさひ整体院の渡部晃久(わたなべ てるひさ)と申します。

 

生まれも育ちも愛媛県松山市です。

昔からスポーツが大好きで、水泳・陸上・バスケット・自転車と、いろいろな競技を行ってきました。

 

今までで一番の思い出?は、大学生の時にお金がなくて、小麦粉と水で1ケ月何とか生き延びた事です。最後のほうは水だけで、死ぬかと思いました。苦笑

 

社会に出てつらい事や、しんどい事があっても、ご飯を食べれるだけ全然大丈夫と思い、今まで生きてきました。

 

気が付けばもうアラフォー、昭和50年生まれのおっさんです。

小学生・中学生

朝から晩までバスケットをしていました。当時の通っていた城西中学校は、バスケットで1,2を争う強豪校でした。その流れで、高校もバスケットの特待生として進学しました。

高校時代

朝から晩までバスケット三昧の日々でした。監督は、すぐに愛のムチをパンパンとだす人でした。体育館を1往復、愛のムチを受けたのが思い出深いです。また長崎の合宿では、監督の愛の蹴りを頭に受けて、お金を投げつけられ、「愛媛に帰って、学校をやめてしまえ!」といわれました。愛媛県で下から一番の学校だったので、辞めたら行くところがありません。なので必死に耐え、バスケットで大学への道を作りました。この時に、かなり精神力が鍛えられたと思います。当時の監督とも、いまだに交流があり、厳しかったけど、とてもいい思い出です。

大学時代

中学校の体育教師になるために、大阪体育大学に進学しました。しかし1年生が終わるころ、愛媛県の教員採用人数(体育教師)が1人というのを見て、「さすがに無理だろう・・・。」と思い進路変更。体力には自信があったので、体を活かせる、やりがいのある仕事は何かないか?と思い探してみると、ありました。それは、競輪選手!なので大学2年生の時に、進路変更して競輪学校の受験をしようと決意しました。笑

競輪学校時代

競輪の自転車なんて乗ったことも、競輪のルールも知りませんでしたが、競輪学校の試験(適正試験)で合格。79期として、競輪学校に入学しました。約1年間みっちりと競輪について教え込まれました。しんどかった・・・。

競輪選手時代

21歳でデビューして36歳で引退するまで15年。良いこともありましたし、つらいこともありました。

また多くのケガも経験しました。選手時代に延べ120日以上の入院生活。鎖骨は落車で砕けボルトで固定し、傷口がふさがる前にレースに出でまた落車。肋骨が折れたままレースに出場。今思えば、むちゃくちゃ体に負担をかけていました。

そんな現役中に、全国の治療家と呼ばれる先生方にお世話になりました。また30歳を超えたあたりから、第二の人生は自分自身も治療家の道へ進もうと思うようになり、競輪選手を続けながら国家資格柔道整復師の学校へ入学しました。

愛媛医療福祉専門学校時代

3年間死ぬほど勉強しました。ある程度、筋肉や骨などは知っていましたが、ここまで詳しく体について学んだことはありませんでした。自転車の練習を朝方行い、日中は学校で勉強。3年間、頭に汗をかきながら勉強し、なんとか無事に卒業し国家試験に合格しました。

現在

今の僕は競輪選手時代の経験が、凄く役立っています。落車をして首がむち打ちになった時は、超音波を使い痛みをなくしたり、体の軸がずれているときは、体の軸を元に戻す矯正をしたり。競輪時代、自分の身体を実験台にしながら効果的な治療方法を探し学び、実践してきました。今度はそれを、自分以外の痛みや、身体のことで悩んでいる人に対して、施術することが僕の使命だと感じ仕事しています。身体のことで、何かありましたらお気軽に声をかけてくださいね。よろしくお願いします。